特異貢献という「強さ」

 動物が生き残るための「強さ」には、ライオンのような闘争力としての強さばかりではなく、結果として生き残りにつながるいろいろな形での「一種の」強さがあります。

 たとえば、逃げ足の速さ、寒暑・乾燥などに耐える能力、繁殖力の旺盛さ、目立たないことによる狙われにくさ、知能の高さ、特殊な感知能力、巣づくりの巧妙さ、等々。

 むしろ、相手を倒す(犠牲になってくれる者を必要とする)強さの方が、持ち主としても厄介なものかもしれません。

 人間では、喧嘩が強いことで生活が維持されている類の人にとっては、腕っ節が頼りでありましょう。しかし、そういう暮らしそのものが、決して安全度の高いものではなく、むしろ危うい軌道にあります。

 暴力で勝ち取ったもので生きて行くより、自分で稼いだもので生活できるなら、その方が<本当は強い>に違いないわけです。

 ビジネスにおいても、優れた経営者は、対同業収奪型ではなく、特長構築型とも言える独自の役立ちの育成に活路を求めています。

 つまり、勝たなくても存続のできる存立方法を採用するわけです。

 その能力は、「勝つ」能力とは別種のもので、単に勝つ能力を放棄しても手に入りません。その本当の強さで発展する企業を見て、勝ち指向の人々は「負けてはならじ」と考えてますます競争に励もうとします。

 明確に言えることは、「他者を収奪する生き方=迷惑」、「他者と交換する生き方=互恵」を比べたときに、後者のほうが成熟度、完成度が高く、<本当は強い>ということです。

 拙著「和の実学」で紹介する「和力」もそうした<強さ>の一種です。

 

(旧メッセージナウ2005年07月08日記事より)