かくて老人は転ぶ

昨晩のことです。

福岡空港に飛行機の到着が遅れ、遅れた場合のための新幹線にすら間に合わないぎりぎりの時間になっていました。

 

過去何度かこういうケースがありました。

夜は電車などの便がまばらなので、一つの遅れが多大な待ち時間と到着時刻の大幅な遅れにつながります。

 

飛行機を降りてから脱兎のごとく地下鉄へ、この地下鉄は到着して乗り込んでから三分間停車の後出発。

計算では博多駅に着いてから二分で新幹線に乗れば間に合うタイミングです。

こういうときにそなえて、腕時計は秒針までほぼ正確に合わせてあります。

 

期待の二分前はとっくに過ぎて少なくとも十五秒以上過ぎてようやく到着。

あらかじめ最後尾の箱に乗っています。

降りるが早いかエスカレーターへダッシュ。

あの重たい鞄を背負ったままであることはもちろんです。

エスカレータは人をかき分けるように登って全力前進。

 

また走って改札へ、そこから地下鉄の出口まではエスカレータと階段があり、JR博多駅の構内に上がり、そこを走って新幹線のフロアに上がるエスカレータを登るころには「膝が笑う」状態になっているのがわかりましたがめげずにどんどん登り、ふらふらになりながら新幹線の改札を通り、構内を駆け抜けてホームに上がるエスカレータを登ります。

 

ドアが閉まるアナウンスを聞きながらやっとホームに上がったとき、乗るべき列車を 目の前にして異変が起こりました。

下半身が無感覚になって、自分が何をしているのかコントロールが利かなくなったのです。

上半身だけが空中を泳いでいるような感覚です。

次の瞬間、額からホームの床に倒れ込みました。

目から火が出て、頭がガーン。

 

もはやこれまで!無情にも新幹線のドアは閉まるのであった・・・というシナリオを思い浮かべながら顔を上げてみると、まだドアは閉まっていません。

懸命に起き上がろうとするのを、ずり上がった重たい鞄が邪魔します。

 

それでも何とか立ち上がってエスカレータのところから新幹線のドアへ、あいにくドアとドアの中間辺りからで、斜めに進んで七~八メートルあったような気がしますが、何時閉まるか分からない中を近づいて遂に乗り込みに成功。

従来は先に息が上がっていたのですが、今回はひときわ重たかった鞄のせいか、はじめて足から来ました。

 

空いた席に鞄を下ろしてしばらく棒立ちしていましたが、だんだん落ち着いて見ると、手の平に顔の傷から出たらしい血がついています。

これは何とかしなくてはと、また鞄を抱えて洗面所に向かいました。

 

鏡を見ると顔面血だらけの壮絶な姿が・・。

おでこからの血は顔面を縦断して流れますから派手です。

洗ってもすぐ流れ出てきて同じようになるのを、とりあえず洗い続けました。

 

その間、外国人の女性がトイレに行こうとして分からないことがあったらしく、向かい側にいる私に話しかけてきましたが、血だらけの顔で振り向いたものですから、驚いたのか会話を撤回して立ち去っていきました。

しばらくして、同じ女性が戻ってきてトイレに入るのが鏡に写りましたが、それでも血は止まっていません。

 

それでもだんだんと出血は下火になり傷口の様子も分かってきました。

さらに時間が経つうちに、出血はにじみ出る程度にまで治まりましたので、鞄からバンドエイドを出して一番大きな傷に貼りました。

よく見ると目の横、ほお骨、鼻の下も傷ついています。

 

両手、両ひざにも切り傷や打撲があったことは後で気付きました。

 

このとき不思議に心は晴れ晴れして何もうっ積を感じず、それどころか、この出来事が何か有り難い大事なことのように感じられていることに気付きました。

かねてより、いわゆる悪いことが起きた場合、禍中の福などを分析する以前に、はじめから感謝できる成熟段階があることは分かっており、自分もそこに馴染めるようになりたいと思っていましたので、おっ、これは行けたかなと思うと、むしろ嬉しい感じさえ浮かんできました。

 

これまでも、とりあえず平静ではいて、少し考えるうちに、色々な価値を見いだして感謝を思いだすということまでは何とか定着できていましたが、今回はかなり直接的にスムーズに、感謝と共にこの経験を迎え入れられた感がありました。

 

あとで考えてみると、あの新幹線はどうも一分近くは発車時刻をオーバーしていたに違いないように思えますが事実はわかりません。

私は乗ろうとするドアのそばで転んだのではないので、乗り込もうとする人を見る目の届かないところだったはずです。

 

ともかく家に帰り着き、家内に転んだ顛末を話すと、顔を打った傷というのは、今日よりも明日大きく腫れ上がって、目の周りがパンダのように黒くなって、お岩さんのようなになるのよと言います。

しかもその内出血のための目の回りの黒ずみたるや、ものすごく長い間消えないとのこと。

 

それなら、ホームページに載せるデジカメ写真を今日のうちに撮っておかなくてはと、シャツ一枚とステテコになっていたのを、またスーツにネクタイの姿になって撮影したのでした。

 

顔の傷は画像を加工して消せばよいと思っていましたが、まあそれほどは目立たないようなのでそのまま使ってあります。

トップページから〈大和信春〉をクリックすると本人紹介のページがでます。

 

私も先月57才になりましたが、若いころこの位の歳の人を見たらオジサンというよりはジイサンと認識していたように思います。

いつのまにか自分がその歳になったのです。

 

よく老人が転んで骨を折ったというような話を聞くと、同じ転んでも骨まで折るような転び方というのは何とかならなかったのだろうかと思っていましたが、今回なかなかそういうものではない場合があるという事例を実体験しました。

 

つい、もう少し若い頃のような肉体の余力を期待して、頑張って急いだりすることにより、実はすでに限界に達している身体がストを起こして一切何も出来なくするのです。

 

骨を折るような転び方だとたとえ気が付いていても、その時点では何もすることが出来ないというのが実態ではないかと想像できるようになりました。

 

その意味では教訓に満ちた貴重な体験でした。

 

これから先は、大丈夫と思う一杯一杯のことをしないで、余裕をもって行動しなければいけないなあと思いました。

また、足腰の衰えを少しでも遅くするよう、運動を心がけたいと思います。

 

顔の方は翌日になってもほとんど腫れらしきものはなく、二日目の後半頃から目頭付近がわずかに黒くなった程度で済んでいます。

血が外に流れて、ほとんど内出血にならなかったためかと思われます。

 

また夜中に疼いて寝られないかも知れないと思ったのですが、痛みも全く平気で、二日経つころには、特別に顔の筋肉を使わないかぎり、何も感じないくらいになりました。

アリガタイコトデス。

 

(旧メッセージナウ2005年07月11日~14日記事より)