ホームページの存在価値

私のホームページは、省知識・省技術でできており、専門職人的な眼で見れば、仮設住宅のようなものでしようが、内容的にも第一期工事完成の時点でオープンしたという感じです。



それでも、一応存在することによって何が助かるかといえば、ご縁があって新たに出合う人毎に、沢山の事柄について同じ説明をする必要が大いに省かれると思われる点です。



そのくらい惜しむなよと言われるかも知れませんが、あるときなど、互恵カレンダーを見て、「これは何ですか」と片っ端から聞く人がいて、答えないわけにもいかず、答えるからには相手に合わせて的確に言わなければならず、午前も午後も費やして、夕方にはのどが痛くなったことがありました。



私自身、自分のことを説明することに著しい困難を感じます。


私のことを紹介して下さる方も大方は説明しにくいようです。


あるとき親しい人が講演の司会をしてくれた際に、講師紹介に入ったところで(よく知っているだけに)絶句し、困って「ご本人からどうぞ!」と私に振ってきたことがありますが、私もまた彼と同じように困ってしまったのでした。


「説明しにくい人間コンテスト」があったとしたら優勝が狙えるのではないかと思うほどです。


そもそも誰に対しても適切と言える一種類の短い説明など作れないというのが実際でしょう。



そこに、ホームページがあって一連の情報が揃えてあれば、その人の興味関心に応じた部分を読み、ある人は「秘書学の改革者なんだ」と認識し、ある人は「理念づくりの支援者なんだ」と納得するかも知れません。



ついでに、この場を借りて申しますと、吉田松陰の“生まれ変わり”というのは問題があるのでやめていただきたい。


後継者の一人たらんとする志はありますが、それとて自己紹介でそのように言うことはありません。



(旧メッセージナウ2005年07月23日記事より)