鐘を叩けば、叩き方によって違う音がするとはいえ、必ずその鐘の音がする。
話をするとき、テーマによって違う内容になっても、その人格から出る話は、その人らしいものになる。
だから、すごく酔っていて覚えていない状態で、何を言ったかは余り気にならなくなった。
地域内連日公演では、ネタの配分に構わず毎回最高の話を心がけるようになった。
ISTで、人によって統合文が違うのではないかという質問には、同じ鐘を叩いて同じ音が出ないとしても、違う鐘を叩いたような違いはあり得ないという説明ができる。
「鐘を叩く」というイメージの周辺に、かなり違った相の話に共に近いものを見いだすことができる。
その共通性を見いだすセンスがISTのみならず創造的思考に必要な頭脳回路と言えるでありましょう。
創造性は、違ってはいるが相通ずるという感覚のもとに、共通の説明イメージを打ち立てる能力とも言えるのではないかと考えています。
(旧メッセージナウ2005年07月30日記事より)
コメントをお書きください