「できない理由」は従業員の宝!?  2005.8/1

「できない理由」これは職場で耳にする言葉です。

経営者や幹部や外部講師が従業員に対して「できない理由を言う前に・・」と達成の努力や工夫を促すときに使われたりします。


そんなとき気になるのが、こういうお説教をする側の人が、「できない理由」が出てくる原因を、どうも「消極的な心構え」「心の習慣」だと考えているらしいことです。

したがって、それを直せば、果敢に挑み、成果も上がるという期待を持ちます。


ですが、実態は「できない理由」は、従業員が「おれたちはこれ以上サービスできないよ」と言いたくなるような「状況」から出ていることが多いようです。

はっきり言って、報いが乏しいための当然の帰結を、なるべく経営者の顔を立て、自分たちの無能というあまり愉快でない説明で落ち着かせようとしている構図です。

そこまでくると病は重いという感じですが。


基本的に労働=商品、給料=代金と考えてみると、同じ代金で際限無く商品の上積みを言われてもなあ・・ということです。

そこで、もっともらしい「できない理由」があれば、これ幸い、いたるところでそれを盾にエネルギーを節約し、身を守るわけです。

その大事な「できない理由」を自ら覆すなどとんでもない、となります。


これは決して性悪説で人を見ているのではありません。


「心価経済」の観点からは、心価の収支がつり合わないための反応は、その反応だけを押さえ込んでも、基本的状況が変わらない限り、別の形をとって現れます。


そうした「症状」が出ている元を探ると、給料が極端に安いという場合ばかりではなく、大抵は「心価」のマネジメントが貧困であることが浮かび上がってくるはずです。


従業員が揃いも揃って無気力・無能であるからではなく、経営が無免許運転に等しいからであるという可能性に着目し、対処しないと、状態が変わる見込みは薄いでしょう。

(旧メッセージナウ2005年8月2日記事より)