気休め  2005.8/8

「気休め」というと、「気休めに過ぎない」などと否定的に用いられることが多くありますが、「気が休まる」ことが案外大切な場合もあります。

IST十五日研修参加中のS氏は、参加期間中ヒゲを剃らないでいようとしています。

したがって本日、八日目の中日ともなるとかなりヒゲが伸びて、いわゆるヒゲ面となってきました。

私は、こうした試みは皆に勧めるわけではありませんが良いことだと思います。

十五日研修の主旨は十五日まとめて累積していく効果を問うもので、必ずしも毎日のように目に見える変化があるわけではありません。

昨日と今日でどう違ってきたかは認められるほどの差がないけれど、何日か積み重ねると明らかに違いがある・・訓練の成果もそれと似たところがあります。

しかもそれは頭の中の回路に起こる変化なので目にさえ見えません。一体自分は進歩しているのだろうかと不安になることもあるでしょう。

そんなとき、相当に伸びたヒゲを見て、ヒゲの伸びのように歩みはのろくても、このヒゲがここまで伸びたのと同様に、かならずやこれまでの毎日の積み重ねがあればこその蓄積が頭の中に起こっているはずだと、目に明らかなヒゲを見て気を休めることができるのではないかと思うのです。

頭の中の蓄積も、それがある線を越えたとき質の転換を引き起こし、目に見える変化となって現れるでありましょう。

連続n日目の訓練効果は、それ自体は目には見えないとしても、そこに至る過去の日数分の蓄積がなければ起こせない貴重なものです。

気休めだろうと何だろうと心の支えにして、ヒゲの伸び一日分の今日の伸びを果たしていくことが何としても大切です。


(旧メッセージナウ2005年8月9日記事より)