恩人  2005.8/24

大恩ある先輩が九十歳を越える高齢で今日亡くなられた(山口県)という報を茨城で携帯メールで受けました。

本来ならば飛んで帰ってお通夜、告別式に駆けつけるべきところですが、年間計画で人を集めてある連日の予定を、私個人の都合で中止にする訳にもいかないと判断しています。

故人も、そのことまでは望んでいないと信じています。

なぜなら、私の出張中の一日ごとの活動は人類新生・世界平和に向かう私としての努めへの集中であり、故人の願いにも適うと思うからです。

志盛ん、意気盛んな九十歳台でしたから、まだまだあれもこれもと意欲はあったようですが、恐らくはどこで途切れても悔い無しという認識や配慮はあったものと察しています。

亡くなる前に歴史的大転換の成就を見たかったと思っていたことも知っています。

でも、それはあの世から存分に見られることでしょう。

こうしたきっかけからますます感じられることは、人間は生きている間に何を成し遂げたかという世間的尺度よりも、死ぬまでどの方向に進み迫りつつあったかという、生き方・死に方に関わる「志」が肝腎だということです。

どんなに地味でも、真に価値があると信じられることの“目立たない一部”を担うことに甘んじる気概は純粋な志、理念に支えられるものです。

明治維新の実現に財産を投じた商人、どこまでも前を向いて突撃しながら死んでいった奇兵隊にもそうした趣があります。

故人のそうした意味での元気と情熱は、世代の違う若手にも負けないものがありました。

明治政府の主要人物とも血縁があったようで、私との台湾に関する話題の折りには、台湾総督となった児玉源太郎が、新橋の芸者を十五人ばかり至急(台北に)送って欲しいと東京に要請していたその手紙のある家だったという話などを聞かせてもらいました。

晩年土に親しみ天寿を全うされたあり方をできれば見習いたいと思いつつ、ご冥福をお祈りします。


(旧メッセージナウ2005年8月30日記事より)