「信者」の憂鬱 (その4)2005.10/23

今日の大転換期は、信者社会から覚者社会への転換とも捉えることができると考えています。

それは覚者ばかりの世の中になるということではなく、過去数千年の歴史では世界で千年に一人位だった覚者の存在確率が、世界で同時に数十万人程度というケタ違いのものとなり、多くの人は一度くらいは覚者から直接話を聞ける時代ともいえましょう。


人類社会が文字社会と言えるようになったのは随分前の話ですが、そのころ実際に文字を操れる人が大多数になった訳ではなく、世の中の表舞台に立つ人々が識字者になったというだけでした。


つまりそれと同様に、覚者の存在がたとえ薄くても一つの層をなすとき、社会は覚者社会と言える状況になるのではないかと見ています。


そうなると、現在問題だと言われて取り組みや論議の対象となっている事柄の多くが氷解して問題ではなくなる可能性があります。


その前に、人口が半減するような人類的な危機を経なければならないかも知れません。

その時にはノアの方舟(はこぶね)を名乗って客(信者=カネ)を集めた船長(ニセ覚者)は夜逃げをし、自分だけは助かろうとして誘い込まれ、騙されたと嘆く信者の舟が沈んでゆくのを助けるすべもないという光景があちこちで見られるのではないでしょうか。


情報汚染と大衆扇動家の時代が来ようとしています。

人格と判断力を磨いて乗り切っていく努力こそ大切かと思われます。


(旧メッセージナウ2005年10月27日記事より)