また駅で猛ダッシュ 2005.10/27-2005.10/29

歳のことを考えて、もう走るのは自制しようと心に決めはしたものの、また走ってしまいました。

今月五日は、静岡県で亡くなられた方があり、その日は夕方茨城県内から新宿に出て泊まる予定でしたが、その晩のお通夜に駆けつけても最終までに東京に戻れるだろうと言うことで、家内が家で旅程を組んでFAXで送ってくれました。

常磐線で上野に出て大急ぎで山手線に乗って時計を見てがく然としました。東京発17:23の新幹線に乗らねばならないのに、すでに17:10だったのです。


所要時間には余り詳しくないのですが、どうも絶望的に見えました。

とにかく降りて走るしかない。

御徒町、秋葉原、神田と止まってゆきます。

駆け込み乗車などで少しでももたつくことがないようにと祈るばかりです。

東京に着いてドアが開くなり全速力、といきたいところですが、夕方の東京駅は人がごったがえして真直ぐはしれるような状態ではありません。

稲妻のように左右に人をよけながらあの広い東京駅構内を延々走って、とうとう間に合ってしまいました。

どれだけ速く走ったかご想像下さい。



また十四日には新岩国から新幹線を利用して夫婦で広島に行きました。


時間に余裕があったのでゆっくりトイレに行ったりして、ぼつぼつ列車が来るころかなとエスカレータでホームに上がり、待っているとき、家内が広島に届ける荷物を車に忘れたと言いだしました。

「エェッ」と驚いている暇はありません。

即、決断して家内から車の鍵を受け取り、走り出しました。

このときは私は軽いショルダーバッグだけでしたから、今までで一番速く走ったと思います。

矢のように改札口に降り、なかなかこっちを向かない駅員に声をかけて了解を取り、また矢のように(自分では思える)駅の玄関へ、そこから階段を下りて100m走のごとく駐車場へ、このときは朝もっと食べておけばよかったと思いました。

駐車場に着いてみると、どこら辺に停めたのか良く分からない中をやっとたどりついて、車のドアを開けたが見当たりません。

後部の荷物スペースにあったのをようやく見つけて取りだし、逆コースを駅へ。

駅の玄関に近付くころには上の方に列車が入ってきました。

だだっ広い駅の中を走って改札へ、そこからまた走ってふらつきだした足でエスカレータを上り、今度もまた間に合いましたが、息が切れ酸欠状態がしばらく続いておさまりませんでした。


走りながらふと頭をよぎったのは、なぜか「これって、自分の人生なのかもしれないな」という思いでした。

当たっていなければよいのですが。

(旧メッセージナウ2005年10月29日〜31日記事より)