日本一明るい少年 (その2)2005.11/7

超上機嫌な幼児はどのような振る舞いをしたか、いくつか思い出されます。


歩けるようになって間もなくで、まだ自分の名前も言えないころだったと思いますが、母親が怒って外に締め出したとき、夜でしたし普通なら泣いて戸を叩くなりして入れてもらおうとするものでしょう。

しかし、この子はますます上機嫌に世間散策に出かけてしまいました。

親の方が青くなって探し回る始末で、駅の方まで行って誰かに保護されたらしく、交番に預かられていました。 


言葉が出る前から人に物おじせず、言語状の声(もちろん通じない)で人に語りかけていました。

海水浴場でかなり離れたところに座っている外国人のカップルのところに一人で行き、彼らに向かって何かを話すふうなことをしていると思っていたら、やがてジュースをもって帰ってきたことがあります。


言葉を話すようになってからも相変わらずで、ある日駅のホームで勝手にどこかへ行こうとするので止めようとすると、

「ぼくは、あのショーネンとはなしをするんだ。」

と言うので見ると一人の中学生がベンチにいました。

勝手にさせると、その少年に盛んに話しかけていましたが、内容は全くその場に合わないアンパンマンのセリフか何かだったと思います。


世の中全て自分の味方であり、希望は全て叶えられると信じきっているかのようで、親が難色を示しても意に介さず、「だいじょ~ぶ」などと言ってニコニコして親を促すのでした。


一面、泣くときはじつにさめざめと大泣きするのですが、そのときでさえ何か発表でもするようにものの上に立ったりしており、あるとき、オイオイなきながら何か訴えているようなので、耳を傾けてみると

「ヒヤケニヨルシミソバカスヲフセグ・・・」

とテレビコマーシャルの言葉を嗚咽と共につぶやいていました。


そのような、まだ赤ちゃんの抜けない幼児の頃は、まだよかったのですが、三才に近くなってくると、超上機嫌のもたらす思いもかけない困り事が日常のこととなりました。(つづく)


(旧メッセージナウ2005年11月10日記事より)