日本一明るい少年 (総括)2005.11/15

「日本一明るい少年」を目指したつもりが、「日本一にぎやかな少年」路線を疾走してしまったという 、穏やかでない間違いがなぜ発生したのか、あるいはこれは必然なのか、喉元過ぎればと言うわけでもないのですが、しばらく考えに上らないままに来てしまいました。


ただ、このところ「育子要目」の研究に絡んでそのことも思い出していた次第ですが、始めにも書いたように、「子供は雰囲気で育つ」という大原則だけは見事に実体験によって確認できたと思います。

言葉が使えず、雰囲気だけが通じる幼児期初期に、人格の方向づけが出来てしまうのです。

これはその後のどんな立派な内容の説教よりも、子供の育成上の決定因になると考えられます。


したがって親は万難を排して「よい雰囲気づくり」に努めなければならず、それができるだけの素養を身に付けておく必要があります。

「子供の前で夫婦げんかをしない」という、よく言われる原則も、色々な側面はあるでしょうが、まずはそのような雰囲気に子供を触れさせないということです。


また「ずるい」「冷たい」「下品な」人間に「正直な」「暖かい」「上品な」雰囲気はなかなかつくれないわけで、そこにも手本と模倣の原則がはたらきます。

ありきたりのようですが、親が言うようにはせず親がするようにする子供になるということです。

「親の後ろ姿を見て育つ」という話でも見逃してならない点は、後ろ姿になっても「雰囲気」という超言語的情報はしっかり発信されていて、むしろ素のまま子供に届くということです。

子供をつくる前に親が自らの汚染的雰囲気を払拭しておく必要がはっきりすると、困る人も少なくないでありましょう。


今日遺伝の要素が強いと考えられがちな頭の良さも、「暗愚な雰囲気」「聡明な雰囲気」が強く作用するとなれば、選択肢や希望の幅は拡大します。

肺結核も昔は遺伝だ(その証拠に父親も息子も・・)と思われていましたが、その後感染によるものとされました。

雰囲気は菌以上に感染するものです。


(旧メッセージナウ2005年11月20日記事より)