紙一重体験(人生) (その1)2005.11/20

16日からの台湾歴史の旅に参加するための航空チケット書類を旅行会社の人が前日の15日に届けに来ました。

念のためにパスポートを見せてくれというので出すと、首をかしげ始め、再三指を折って数えたりしたのち、これは有効期限が六ヶ月を切っているので問題があるかもしれないから、帰って調べてもう一度連絡すると言って帰っていきました。


そのあと、電話ではなくもう一度やってきて言うことに、国によっては二、三ヶ月でも有効期限があれば大目に見て入れてくれるところもあるようだが、台湾は厳しいらしくて難しいようだから変更されたほうがいいですよ、このたびは私共も最初に確かめなかったので、キャンセル代は持ちますので・・と、チケットを引き取って帰りたい様子でした。


私も、急に先行きが閉ざされたようになってしまいましたが、ともかく先方に知らせて相談した上で知らせるからと、そのまま一旦帰ってもらいました。


手間取りながらも台湾に電話をかけて事情を知らせるのがやっとで、その日は広島IST道場があるので、出かける時間が迫っており、急いでJRに乗り、広島に向かいました。


台湾のTedさんは、私の電話を聞いて、絶句せんばかりに驚いたようでした。

何しろ私たちを会わせるために何人もの重要人物とやっとの思いで約束を取り付け、調整をしてくれていたのですから、万一これが私の凡ミスのために流れてしまうようなことにでもなれば、残念などという言葉では済まされない事態となります。


その万一が今、目の前で現実になろうとしているのだが、今日の明日では、もはや如何ともしようがない・・・心情的には信じられないとしても起こっている事実は変えられない、悪あがきの余地すら見えない完敗といった状況です。


ただ、見通しの如何に関わらず、いや見通しが危ういときこそ全人的決意が肝腎だという体験は幾度もしてきていて、見通しと決意は別物だと認識しているので、その点では、今や不合理とも見えるようになったかねてよりの意志は揺るがなかったと思います。


絶望を乗せて、電車は一時間半の旅程を広島へと走るのでありました。(つづく)


(旧メッセージナウ2005年11月23日記事より)