紙一重体験(人生) (その2)2005.11/25

どうなった場合でも、たとえ髪の毛ほどの隙間のような可能性でもあれば、そこから道を開いて行こうとするくらいの全人的意志は持ちあわせていたと自認していますが、そのことは、さかのぼって前日からの一味違った行動に結びついていたのでした。


15日は、広島IST道場の後広和塾で、アルコールが入って夜遅く帰り、翌16日朝は六時半発の電車で博多の国際線に向かう予定でした。

そこで、帰ってからは寝るだけで何も支度する必要がないようにしておかないといけない、すなわち、15日広島に向かう前に全ての支度を終えておかねばならないということで、14日夜までにはカバンやポケットの中も、ほとんど台湾行きに整えた状態で、その態勢をいじらないで広島に向かっていたのでした。


そのため、普通ならまずあり得ないことですが、パスポートも航空券も持参していたのです。

探すと写真(請勿問撮影時期)もありました。

ある程度の現金もありました。

これで時間さえ間に合えば何とかなる可能性が出て来た、というわけで、この上はいかなる努力を払おうとも最善を尽くすのみと、心に決めつつ広島に到着したのでした。


広島からの次の便は13:34発ひかり461で、博多着が14:44となっています。

博多に着いてからタクシーで行くとして、十五時までに着けるような所なのだろうか、ともかくTedさんに教えてもらった電話番号にかけて、道順を聞かねばと新幹線のホームから電話をしましたが、「現在使われていません」となります。

番号案内に聞こうとすると、相手先の名称は頭に残っていません。

とにかく福岡市内で台湾がつくような名称のところはありませんかと聞いて、三件ばかりの中から一番それらしい名前のところの番号を聞き(数字が一箇所違うだけでした)電話をすると、博多駅からタクシーで十分ちょっとくらいとのこと、現地の人がそう言うのだから、まだ可能性があると思ったので、新幹線に乗ってからかかってきたTedさんからの電話でそのように報告しようとしましたが、トンネルで切れてしまい、東京の方に電話をかけて伝言を頼みました。(まだつづく)


(旧メッセージナウ2005年11月27日記事より)