紙一重体験(人生) (その4)2005.11/28

“台北註福岡経済文化分處”に入っていくとカウンターがあり、二つの窓口のうち一つでは台湾人らしいオバさんが係の女性と世間話をしていました。

私がただならぬ急ぎぶりで入ってきても、三人ばかりいる職員は皆落ち着き払っていて、視線をこちらに向ける様子すらありません。


窓口に近付いて応対を頼むと、「広島から電話された方ですね」と、円満に受付が始まりました。

数分の遅れは大目に見られたようです。

そうこなくては・・。


まずは渡された中国語の書式で申請書を書きます。

分からないところは後で教えるとわざわざ付け加えたように、とうてい理解出来ない欄がいくつもあります。

書き終えた後、やはり思い違いで訂正すべき部分がありました。


その後、いよいよ手続が始まります。

パスポート、航空券、写真、と提示を求められます。


ところが、写真は上半身が映ったものでしたが、もっと顔の大きい写真はありませんかと言われました。

どうも、規定による顔の部分の大きさに達していないようです。


この間、微妙な空気が流れました。

役人仕事としては、規定を盾に手続拒否すべき場面だったようです。

しかし、広島から万難を排して新幹線で駆けつけた流れを知っているせいでしょうか、台湾からも電話をしてもらっていたことも協力的姿勢につながっていたようです。

結局は手続可ということとなりました。

最後の紙一重をクリアした後は、当日この役所はとてもヒマだったことあり、はじめ一時間くらいと言っていたビザ発行まで二十五分というスピードでした。


何段階もの紙一重を立て続けに経験したこの日のことは忘れないことと思います。

これまでは駅で走ることと縁が深いと思ったのも、この「紙一重」ということの一態と見ることができます。


これからも紙一重体験から縁が切れないとすれば、私の一生はあとで振り返ると紙一重人生となるのかも知れません。

そんな気の休まらない人生なんてと思われるかも知れませんが、精一杯生きるというのは案外そういうことと抱き合わせなのではないかとも思われます。(おわり)


(旧メッセージナウ2005年12月5日記事より)