繰り返し話す大事なこと 2006.2/20

機会あるごとに大事なことを人々に伝えようとするとき、話の内容はいつしか繰り返しになります。


これは前に話したから避けておこう、あれはもう書いたから別のことを書こうということは、短期間に終わって、その先は大事なことの繰り返しになるようです。


オピニオンリーダーと言われる人たちのメッセージは確かにそういう形になっているようです。


いつも様々な角度から実は一つのことを言う、聞く人は表面的な印象から今日も新しいことを聞いたと思ってまた次にも聞く、そういう構図があります。


でも、結局はその繰り返される本筋が染み渡って伝わってゆきます。

表面的話材が少しずつ変わるにつれて根本はさらに理解されてゆくでしょう。


私は二十歳代から時折講演をすることがありましたが、あるとき同じ地域で三日ぐらい日程があり、各講演会場に追っかけのように同じ人が来ることが分かっている事がありました。


そのとき若かった私は、各会場で別の話材を披露しないと飽きられると思い、話の勢いではそこで話せばよかったことを、これはこの先のために残して出さないで置こうという配慮をして、ネタ惜しみのようなことをしてしまったことがありました。


その結果、各会場で最高の話ができたかというとそうではないことは明らかでした。


そこで反省した私は、話材の分配という考えをやめて、各会場で今生の最後だと思って最高の話をすることを心がけることに切り替えました。


話材が前回と同じでも構わない。

その最高のメッセージに前回より少しでも磨きがかかり、日々向上の新鮮さの方を感じていただければよいのだという姿勢です。


そうすると、今、ここで言わねばということをいつでも100%言ってしまえるようになります。

また同じ話材も少しずつではあれ進歩します。

これはいまだに思い起こす一大転換でした。


講演のメモを取って、その内容が新しくなければ新しいことは何もないと思ってしまう人とはそこでお別れになります。

一方で、話の「心」を聞いてくれる人は、繰り返し感動を新たにして「よかった」とさらに理解を深めてくれる、そんな世界を味わえるようになりました。


話が苦手だという人の多くは、時間一杯話をしなければならないという強迫観念から、話を引き受けるいきさつなどで時間を埋めて、肝腎な話の時間を縮めてしまったりします。


伝えるべきことを伝え終わったら、時間はどんなに短くても、予定の時間が余っても構わない、いや同じ内容なら短いほど値打ちがあるのであり、機会・時間があれば、違うことではなく、大事な同じことの切実な念押しを語ればよいのではないのでしょうか。


(旧メッセージナウ2006年3月7日記事より)