納税の季節(つづき2) 2006.3/15

納税申告にかかわる困難から学んだことの一つに、テキトーでいいことはそうと見極め、正しい答えがあるとしても、その追求に拘らなくてよいということがあります。


初期には「書き方」という書類をいくら読んでも分からないことが続々出てくると、それだけでうんざりして、何たる欠陥文書かと憤りを覚えたりしていたものです。


そして、分からないようにしか書かれていないことをいずれは実証的に明らかにし、指摘して改善を求めなければ、大勢の庶民の迷惑は延々続いて、国民全体としての損失は計り知れない等と考えたりしていました。


そのうち人から聞いた話などから、どうやら税額に関係のない部分というものには税務署も関心が薄いらしいということが理解できるようになりました。


「いったいどっちなんだ、書いてないじゃないか!」

と思うようなときには、

「あ、この点は税務署にとってどうでもいいことだから触れていない、つまりどちらでも好きな方を選ぶのに任せますということなのだろう。」

と考えて好きなようにさせてもらうことにするのです。

万一それで間違いだと指摘されたら、そうですかと直せばよいのです。

もっとも、指摘しても税額が増えもしないのに、わざわざ知らせてくるようにも思われませんが。

もし大問題のように言われるなら、そのときはじめて「それはどこに書いてあるのですか」とただすぐらいでよいわけです。


世の中には、やるべきかやめるべきかの明らかな判断材料がない選択の場面がしばしばあります。

そんなとき「一体どっちにすればよいのだ」と迷って悩むたちの人もいるかとおもいます。

結局、どっちでもよくて一番大切なのは早く決めることであったというような場合もあります。


そして、じつに多くの場合、どちらにするかという一見正反対のような選択も、その両者の結末は大差がなく、だからこそ明らかな手がかりも見いだせないということだったりします。


つまり、どちらがよいか分からない最大の原因が、実はどちらでもよいことだったというケースが大変多いようです。


ですから、何かに迷い始めそうになったらたら、とりあえず、

  • もしかするとこれはテキトーでいいのではないか
  • いずれでも可ではないか
  • どちらにしても後のフォロー次第で最終目的は果たせるのではないか
  • 大差がないのでどちらでもよいというケースではないか

とチェックを入れてみるようにすると、迷う必要のない場合にはそれが早く判明します。(おわり)


(旧メッセージナウ2006年3月29日記事より)