行列待ち 2006.5/5

忙しそうな素振りはなるべく避けていますので、ときには呑ん気に見られる場合があるかもしれませんが、最近はとくに時間的支出の嵩む案件があって、通常の目的の時間が圧迫されている感があります。


悪しきストレスを回避しながら、また偶発的な割り込みを処理しながら、大事なことから順番に片付けて行こうとしたとき、いつ手を付けられるか分からないほど後に並んでいる順番待ちの課題が気になることがあります。


それは期限付きではないけれども一部の人が切実に待っている項目であったりします。

そんなとき、多分その関係者の中には、ホームページなんか書き換える暇があったら、なぜこれを進めないのだと不満に思う人もあるのではないかと思いながら、メッセージ・ナウをつづることがあります。

ホームページは全体として社会への折々のメッセージであり、とくにこうした日替わりページは、設けた以上は絶えず更新していく必要度が高いものと認識しています。

しかし、それもこのところ思うに任せない状況が続いてきました。


おびただしい処理待ち課題があると、普通なら何から手を付けていこうかと困惑することも考えられますが、私の場合、実態は長い待ち行列をなしていて、その順番にはほとんど迷いがないことも事実です。

急な割り込みの場合も、どの辺に入れるかはその都度決まっていきます。


それは固定的な順位ということではなく、状況によって変動することは普通にあります。


Aと言う課題の前半を消化して目処がついたら一転してBを早期に完成させ、その後にAの後半をしあげるといったパターンもありますし、いかに多用でも当然ながら必要な日課(洗顔など)は省くことはありませんから、いわゆる重要度とその着手順は単純に一致するとは限りません。


その上での“迷いなく決まる”という感覚は、「割り切る」といった荒っぽいものではなく、全体効果を最大にするためのバランスにおいて、判断にそれ程ブレが発生しないという感じでしょう。それは一種の「目利き」的判断にも通じます。


最近では、年間予定にあるセミナーの準備はできたが、セミナーの案内を出す作業のための時間は削ってしまい、案内なしで情報を知った人だけの参加で日程通り行うといったことが何度か発生していますが、そういう現象は黄色信号だと分かっていても、一方ではそれが今のところ最善に近い対処だったと思われるといったあんばいです。


ちなみに、この文章は書き始めて十回位、ちょっとずつ続きを書く機会を持ちましたが、その都度途中で他の用事で中断し、今ようやく終わりの部分を書いています。


(旧メッセージナウ2006年5月8日記事より)