研究が経験を越える可能性(1/2)2006.5/8

「負うた子に浅瀬を教えられる」

という話があります。

子供は自分の足で瀬を渡る能力はないとしても、その子を負ぶって前かがみになっている大人よりも目の位置(見下ろし角)が高く、その分水面からの反射光が弱いため、より容易に浅瀬を見通せると考えられます。


このように、できない人が出来る人に対して改善や成功を助けることが、<ある場合には可能>だということは事実です。


しかし、そういうことは“率先垂範”という慣れ親しんだ構図に逆らうからでしょうか、できないということはすなわち分かっていない、まして人への助言・指導的関与などできないことだと、確かめもせず決めつけたうえでものを考える人にこれまで幾度も出会ってきました。


その手の人は、「負うた子」のケースはあくまで珍しい特殊なもので、通常はあり得ないと言い切るかも知れません。

彼には信念を自ら否定するような具体例など思い当たることができないからです。


自分ではできなくても人に教えることができたり、場合によっては経験のなかった領域で経験者を追い抜けるようになることは、とくに研究の世界では十分起こりえます。


そいうことが<ある場合には可能>と書きましたが、具体的には「情報力が逆転している場合」ということができ、瀬渡りで負われた子にもこの条件が成立しています。


経験者がその目的点にたどり着けるだけの一応の手段・経路は知っていて、それでとりあえず用は足りるので毎度その過程を踏んでいるが、実はそれが大きな回り道やリスクの多い道であって、それとは段違いに効果的な最短距離を研究者が突き止めたような場合には、研究者が自分では行わなくても行う人に教えて改善を助けたり、ときには自ら試みて専門家・経験者と言われる人々の常識よりも順調に到達して見せたりするようなことが可能になります。
(つづく)


(旧メッセージナウ2006年5月9日記事より)