研究が経験を越える可能性(2/2)2006.5/9

こそ泥が経験的にうまくいった侵入方法や盗み方だけを繰り返して、手口が収束化・硬直化するという現象がありますが、これは捕まりたくない一心であることの他に、盗みの方法を全域的・体系的に教える「泥棒学校」のようなものが、幸いにもないため、<軒並み素人>であることに起因していると思われます。

もし闇の世界で「窃盗工学」に基づく「泥棒学校」や「窃盗免許コース」が実際に稼動していたら、可能性をフルに活かした変幻自在の空き巣が多発するはずです。


それと同様なことは、各種の分野でしばしば見受けられ、経験者たちは自分たちを専門のプロだと思っているけれども、専門うんぬん以前に問題解決の原則すら踏み外していて、うまく行くわけがないことが見通せたりします。


そのような状況から、研究が経験を追い越す形で誕生したものとして、建築プロデュース、実用秘書学、ラチェットセールス法、企業におけるTPD(トータルプロセスデザイン)、給与システムOMI、経営免許講座などがあります。


ただ、それらが必ずしもすんなり理解されず、

「経験のないことを教えている」
(すなわち信用できない)

という目で見られても不思議はないとも言えます。

そもそも、従来型の「研究者」という一群の存在が、研究対象領域に関しては専門でも研究そのものに関しては<軒並み素人>の状況である上に、あえて実用的成果とは離れた世界を指向していたり、その前に学者と研究者が混同されていて、

「机の上で何が分かるものか」

と思われてしまうことが理解困難に拍車をかけているのかも知れません。


上記のような研究成果は、ある程度の真の理解者があれば充分であり、一般的に人気が出たり流行ったりすると却って意味が薄れるものもありますので、これからも相変わらず切実に必要とする人との出会いのご縁にしたがって紹介していくつもりです。


(旧メッセージナウ2006年5月12日記事より)