身近な多重人格 2006.6/2

よく、ハンドルを持つと人格が変わる人がいるという話があって、具体例をほとんど知らない私には何となく笑えてしまいますが、実態はどうなのでしょうか。


複数の人格が一人の中に潜んでいて、そのどれかが表面に出る現象は二重人格とか多重人格と言われます。


人格という言葉が適切かどうかはともかく、何かを条件やきっかけとして、まるで人格が入れ替わったかのように態度が変わる現象はあります。


これまで体験したのは、食堂に一緒に入って店員と接する時に、全く目つきが変わる人です。

私たちとは普通に話しますし、むしろ温厚な人なのですが、店員に向ける目だけは、まるで人間扱いしていないような冷酷無慈悲な光を放つので、ぞっとするほどだったことを覚えています。

飲食店に対してよほど不信感や警戒心あるいは蔑視的姿勢を持つようになる経験でもあったのかも知れませんが、恐らくは習慣の問題ではなかろうかと思います。


年下だと思った人が実は年上だったりしたとき、びっくりして言葉遣いを始め何もかも変わってしまうような現象はあると思います。

長幼の序といったしつけ、習慣化というものが、状況認識と結びついたプログラムを呼び出し走らせるのです。


しかし特定の立場関係の相手に対して極端に横柄に接するように働くプログラムがあるとすれば、「内拠」の問題点として対処する余地がありましょう。


海外旅行中となる、とたちまち度を越して自分が解放されてしまう人もあるようです。


火事だと聞くと途端に特別のスイッチが入ったようにエネルギッシュにやじ馬活動に没入する人も、一時的にどうも別人になっています。


お祭りの時には尋常の域を越えて燃え上がり、酔ったように打ち込んでしまうという人などもあるのではないでしょうか。


酒を飲むと変わる人というのも、酒の作用が全てではなく、酒席という「場」がスイッチを入れるという要素があるとすれば同様な見方ができると思います。


万事に控えめな人が、カラオケのマイクを持つと、そこでは貪欲なまでに積極的で自己優先の人に変身するというようなケースも聞いたことがあるような気がします。


このように挙げてみると色々見つかるようです。

人が面食らうような別人格的プログラムを抱えているのは他人ばかりではなく、自分にも何かあるのではないかと点検してみたほうが良いかもしれません。


(旧メッセージナウ2006年6月9日記事より)