脱・ 競争入札と初期点火の順序 2006.6/12

競争入札の弊害の根本的解決は、一つとして同じ企業はないという、より現実的な前提から出発したシステムを設けることです。

そのための仕掛けは「競争入札」という部品を抜き取った後に、同じ形の別の部品を差し込むような単純な入換えではあいにく実現しません。

そのことが在来状況の打破を阻んでいる要因の一つかと思われます。


基準を作ってわざわざ同型化してきた企業群それぞれの特異貢献化を促すには時間もかかります。


また業者(商品)選定の過程や根拠をガラス張りにすることに対して、都合の悪い人達による抵抗もあることでしょう。


それらが本来の姿に改まり、採知機構が働けば、おのずと業者(商品)の選定は最適へと回帰することになります。


発注側、受注側共に理念体質であること、理念の達成を基本動機とする経済活動の普及も基本として望まれますが、こうした点については従来の社会環境のもとでは難しいように見えても、大局情勢が転換するに伴って、ある時期から追い込まれるごとく急速に一般化する可能性が高いと見ています。


そのためにも初期消火ならぬ「初期点火」のあり方が大きく将来の推移に影響するのです。

われわれは限られたマッチで火を起こそうとするとき、いきなり薪にマッチの炎を近づけるのではなく、まず新聞紙に火をつけ、それで小さな枯れ枝を燃やし、火のつきやすいものから順に燃やしていくことで、火の勢いがつけば、もう生木を放り込んでも大丈夫というように条件が変わってきます。

その段階では薪はどんどん燃やしていけます。


同様に、革新的な考えや新常識というものは、初期においては自力で理解出来る人に重点的に伝えていかねばなりません。

大勢が動くまではなるべく変わりたくない、したがって分かりたくもない大半の人々を先に説得しようとするのは、始めから薪をマッチであぶってマッチを無駄にしながら手遅れに向かうようなもので、却って薪に火が付く可能性を損なう行為にほかなりません。


こうした初期点火における選択は、火のつきにくい薪などを見捨てているように見えるかも知れませんが、決してそうではなく順序を踏んでいるだけです。

つまり、可能性の放棄や切り捨てではなく、逆に可能性を追求する努力と言えます。


認識度による淘汰の状況で、分かる人から先に手を差し伸べるのを冷たい切り捨てのように評する人がいるとすれば、その人は仮に理解者の顔はしていても実際のところ分かっておらず、後回しにされる不安なレベルに留まりながら、短絡的に自分と同等な者も早く相手にするようにとせがんでいる姿を思わせます。


(旧メッセージナウ2006年6月18日記事より)