閉業と失業問題 2006.7/21

「閉業」には従業員の失業(=社会悪)が伴うのではないかという危惧の発生は理解できるとしても、その失業のイメージとして、倒産に伴う雇用中断の姿をそのまま当てはめてしまいがちだと思いますが、もしそうだとしたら、妥当とは言えません。


円満退職(転職支援等)による縮小をはかりながら収束に向かう余裕は倒産にはありませんが、閉業ではそれが大体においては可能となるからです。


また、自立連帯型の態勢ができていれば、そもそも閉業に伴う失業の問題は発生しなくて済むわけですから、和道的経営はこんなところでも幸いすることになります。


「会社がなくなったら従業員と家族が路頭に迷う。
だから事業は続けない訳には行かない。」

と考えて、その「自分が養っている」という自負心を支えに苦労にも耐えて経営している社長も少なくないと思います。


その支えを揺るがそうとする訳ではありませんが、それは、幹部社員が

「自分がいなければ部下達は一日も仕事が回らない」

と考えている(実際にはそうでもない)のと似通った心理による部分があるように思います。


安定を求める従業員の願望も、会社は続いてもらわねば困るという基本線を示すのが常ですが、それは社長が頑張る方向性と調和しますので、社内でもますます存続指向は固まることになります。


社会の労働需要(誰かが処理しなければならない仕事の総量)は、それに対応する会社の数の増減に関係なく、ほぼ一定のものがあると考えられます。

ですから基本的には、一時的に職の空白が生じる現象はあるにしても、無くなった会社の従業員の数ほど仕事のない人が増加するという訳ではありません。


とくに、有用な人材は必ず居場所があるものです。

もはや他社では役に立てないという社員の場合のみは、会社がなくなれば働く場所が無くなるという関係はあります。

それに該当する社員は、これまた多くの場合年配で元々定年間近だったりします。


いずれにせよ、最後まで頑張ってイキナリ倒産よりは、段階を踏む閉業の方が社員に対しては優しく遇することができることは間違いありません。


(旧メッセージナウ2006年7月30日記事より)