ガンの価値観(その1)

ガンの組織が普通の細胞組織と違うところは、宿主の害になりながら宿主に養われようとするところです。

そして、やがて宿主を早い死に追い込み、それと共に自分も早く滅びてしまいます。


ある種のガンの病巣はあたかも、他はどうなっても自分だけは生き延びたいと思っているかのように、周辺を巡る血管を収縮させて血液が行かないようにし、自分に届く血管だけを太くして養分を勝ち取ろうとします。


普通の細胞は全体集合としての宿主、あるいは周りの仲間の細胞や血液から、自分が活きていくための栄養や酸素を貰っていますが、同時に全体を支えるための何らかの役割を果たしています。

一つ一つの細胞や臓器が、役目を果たすことを通じて、平均的には自分が受け取る以上に代わりのものを提供しているからこそ、全体は上位の個として成り立ち、活動の力を得ているのです。


さて、私たち一人ひとりは社会やコミュニティ(共同体)全体に対しては細胞のようなものです。


その私たちが、他の人たちはどうなろうと知ったことではない。

人との分かち合いを歪めてでも自分達だけは有利に生きたいと考えて、それでよいと思っているとしたら、ちょうど人体におけるガン細胞のような動きや作用を社会に及ぼすことになります。

そこで、そういう判断尺度を「ガンの価値観」と呼ぶことにしましょう。


現在の世の中は、ガンの価値感を持った個人、企業、国家が増えてきて、もはや限界に着ている状態と言えます。


(旧メッセージナウ2006年8月4日記事より)