ガンの価値観(その4)

またガンの価値観の人はとかく自分たちの未成熟ゆえの過剰な獲得指向を、生物の生きようとする本能だというふうに捉えて正当化しようとしがちです。


しかし、ガンの価値観は一種の偏狭性のために、一時的にはともかく、必ず自損自衰そして自滅へと持ち主を誘う性質を持っています。

それはいわゆる不適応の継続を意味します。

これに対して臓器の価値観が指向するものは適応とその永続化ということができます。


自然界には多様な微生物が共存していますが、それらの中の多くは昔、毒性の強い疫病の原因菌だったものの子孫である可能性が高いと考えられているようです。

初期に増殖したタイプが感染先の宿主を殺してしまって自分も死滅していく中で、毒性の弱い個性を持った仲間が生まれ、それらだけが生き残ることによって、今日の共存的な微生物に変化し、円満に生息していると考えることができるわけです。

このような変化も適応の一種です。


傍若無人で迷惑をまき散らし嫌われていた若者が、だんだんとマナーを覚えて良好で安定的な人間関係を築いていく過程とよく似ていると言えるのではないでしょうか。


ガンの価値観の克服脱却は、幅広い年齢層にわたる多くの人々の課題であり社会の求めるものでもあります。

臓器の価値観で重要なことは、自分の生存を否定したり軽んじているのとは違うということです。

むしろ永続的に円満に活かされるための究極のあり方を捉えたものと見るのが妥当でありましょう。

同様な姿を我々個々人が実現するにはどうすればよいのかを見てみましょう。


やみくもに自分の欲求を抑えるだけでは何程の効果も得られないでありましょう。

続けても慣れるどころか反動のエネルギーが鬱積・屈折して始末の悪い現れ方をする場合さえあります。


まずは、「世のため人のため」つまり全体のためを自分の個性に応じて具体化、鮮明化した「志」を立て、それがみずからの生き甲斐、本望となるような態勢を整えることです。

これは決して限られた方面の思想ではなく、個が全体と調和して積極的に生きられる基本的な形です。

さらに、その志の実践を通して喜びを味わう体験を積むことです。

それにより、臓器の価値観が実感され身に付いてゆくことでしょう。

そのことは自分自身の平安のみならず社会全体の調和を高め、ひいては世界の平和への貢献にもつながるものです。


(旧メッセージナウ2006年8月9日記事より)