研究途上雑感 2006.8/9

「頭ごなしの叱責ではなく、子供の気持ちの動きをなぞり理解しておいて、あるべき姿を示すのが良い。」


たまたま目にした項目ですが、正直なところ、これを親の心得として示したとしても、普及浸透は望めないように思います。


恐らく、もっと肝腎なポイントを押さえることで、ほぼ同等のことがおのずからできていくようなあり方の解明といった形で解決していかなくてはならないと思われます。


子育て論の世界には、一見もっともらしいし、悪いことではないだろうが、しかし、・・・と思ってしまうような「説」が氾濫しています。


わかりやすいことが延々と述べられているが、まとめがわからないもの、全体の骨子など存在しないものもよくあります。


「現場」から出発したものでは、山のような詳細なノウハウはあるが体系がなく、結局ノウハウの正当性も頼りないというものもあります。


比較的体系的、理論的と思われるものでも、流儀色が濃厚で違和感が大きいものは、いずれ二流三流の評価を受けそうな匂いがします。


無免許運転のような子育てが世に溢れている背景として、よく核家族化が挙げられたりしますが、それより今日気付くことは、本来免許を与えるべく指導する立場の側における研究レベルの低さ、それによる教材貧困です。


小児科医として偉い先生も子育ての学者としてはともかく、研究者としてとなると必ずしも優れているとは限らないことはかねて指摘していますが、専門領域における地位の社会的権威と、その人の研究レベルはもっと別扱いに考える必要があるようです。


良さそうに聞こえることなら、大事でない(かも知れない)ことを取り上げて万能薬のように力説しても、今のところは恥をかくことがない、百家争鳴の未開時代の感があります。


専門書、指導書を書く人の研究免許というものも、真剣に考える必要のある<社会の転原>であることを改めて感じるとともに、研究立国に向けての開拓的活動に関わる人の役目の重大さを噛みしめているところです。


(旧メッセージナウ2006年8月13日記事より)