塩持ち気分(1/2) 2006.9/1

たぶんアメリカ人だったと思いますが、貧しい家の出身で成功して裕福になった人が、

「金持ちになって変わったことは?」

と聞かれた折り、

「食堂に入るとき所持金の額を気にしなくなった。」

と答えたという話を読んだ記憶があります。


恐らくこれは、金持ちになったことによる変化というより、その前の貧乏でなくなった段階での変化と言うほうが正確なのだろうと思います。

私なども金持ちにはほど遠い部類ですが、若いころの耐乏生活から今日に至るまでの間に、同様の変化を経験したからです。

学生の頃は貧乏そのもので、外食をするに当たっては財布のお金が決して足りないことがないよう、残金の額を確認し安全を確保してからでなければ飲食店に入ることはできませんでした。

実際に数えなくても自分の持っている額は大体常に頭にあるものでした。

今は、安定収入はないため苦しい時もありますが、一食で持ち合わせを上回るような心配はまずないという認識で、一々確認することなく入店しています。

若干の非常用のお金を備えているせいもありますが、自分がいくら持っているかは普通数えもしないし分かっていません。


さて、最近はヒマラヤ産岩塩に惚れ込んでその流通にも参画している関係で、身辺に相当量の在庫があります。

日常で使う微々たる量から見れば、段ボール数箱でも使い切る日が来ないかと思う位の膨大な量にあたります。


使う量ほどを購入している時期には、なにしろ価格の高い塩ですので、食事に振りかけるにしても、多すぎないように注意しながらでした。

また、枝豆にかけると、鞘にばかり付いて口に入らないからもったいないと思って余り使わないといった調子でした。


ところが、最近は在庫保管場所が自宅だけでなく東京にも出来、補給も頻繁・容易になってきました。

すると、いつのまにか、あまりケチケチしないで自分のはもとより人様の皿にまで充分に振りかけるようになっていることに気付きました。

決して無駄に使うつもりはありませんが、要は無くなる不安がないときの使い方に変わったという気がするのです。


あるときは枝豆の鞘にも、おいしくなるならいいじゃないかとばかり、景気良くかけたりしました。


※ヒマラヤの岩塩「ほたかみ」は、食材の味を濃厚に感じさせる“増味効果”が一般の塩に比べ著しく高いのが特長です。


(旧メッセージナウ2006年9月3日記事より)