塩持ち気分(2/2) 2006.9/3

ここで気が付くのは、

「少なくともこの場は足りる」

という充分な持ち合わせへの安心感(A)と、

「将来とも底を突く心配はない」

という有り余る保有への安心感(B)とはレベルが違っていて、その反映としての行動の変化もそれぞれのものがあるのではないかと思い至ったわけです。

私の場合この塩については(A)を越えて(B)のレベルに相当する使い方になってきたのだと思われます。


そこで話をお金に戻して考えると、金銭について(A)が成り立つと貧乏離脱の兆候、同じく(B)が成り立つのが金持ちの兆候と考えると、一つの実感的な目安になるのではないかということです。

そう考えると、私の場合、塩を通じて、もしお金について同じ気持ちになれるとしたらどうだろうと類推することが出来ました。

これまで、というより多分一生想像できなかった金持ち気分を、ある部分察知できた気がしました。

そして、そーなんだ、とその感覚に納得するものがあり、それだけで実際に金持ちになってみる(そんな道を歩もうとはしていないが)手間が省けたような気持ちにもなり、ある種の満足を感じました。


昔、グランドキャニオンを訪ねたとき、雄大な渓谷をヘリコプターで観覧するコースの希望者が我々のツアーから二十数人いたのですが、その前に解説映画を皆で見たところ飛行機やヘリコプターから撮影した迫力画面がふんだんにあり、その映画が終わったときには、もういいやと思った人が多かったらしく、希望者は私を含めて三人に減っていました。

そのくらい、疑似体験であっても、どんなものかが想像できれば満足できることがあるのです。


今回は、疑似体験と言っても塩持ち気分の実体験から推察した気分ですが、それによって私が多少なりとも認識したような庶民感覚との落差は、普通ではなかなか味わう機会がなかったと思いますので、それなりに貴重に、また面白く感じています。

皆さんも、この塩を通じたそうした体験はいかがでしょうか。

 裕福な人やお金持ちでも、この塩については一般消費者であったら、もしかすると(A)レベルでケチケチ使うかも知れないと考えると、実際に庶民階層に落ちてみる手間を省いた、逆理解の糸口となる可能性もあります。


(旧メッセージナウ2006年9月22日記事より)