どっちがもったいない 2006.11/3

知人がサラリーマンの傍ら水田を借りて稲作をはじめたので、収穫の時に手伝いに行ったことがあります。

そのとき、水田の持ち主で刈り取り機を貸してくれる持ち主のおばあさんが、その刈り取り機の使い方を手ほどきする前の始動にあたって、回り始めた機械のチェーンに、余りにも惜しみなく熱心に機械油を注しているのを見て、注し過ぎではないのか、そんなにふんだんにベトベになるまで油を注して、勿体無いのではないかと思ったのでした。


しかし、その機械は何と十五年も使っているものだという事を後で聞き、油の勿体無さは経験のない我々の感想であって、その持ち主は、機械を不調にしたりダメにすることの勿体無さの方が余程勝っているという実感に基づいてそうしていることを理解できたのでした。


何を惜しむべきであり、何を惜しんではならないのかという認識のズレのようなものは、世代の違い、男女の違い、仕事の違いなどによって色々なところに現れ、ある相手の判断を即座には理解出来ず、ときに批判にまで及ぶということはあるものだと思います。


「勿体ない」 だけではなく、そのほかのことでも、「○○だ!」と断じかけたときは、ちょっとだけでも決めつけを抑えて、

「今の私には○○のように思える。」

くらいに心の中で言い換える習慣を養うことが案外に大切だと思われます(今の私には)。

そうしたことも、いわゆる謙虚さの一部、一側面と言えるかも知れません。


(旧メッセージナウ2006年11月16日記事より)