安全なき平然(その1)2007.3/20

どの本で読んだのかは忘れましたが、こんな話がありました。


アフリカの未開地に生活するある部族に起こった意識の変化についてです。


この部族は当初靴というものを知らず、いつも裸足で歩くので、草むらにいる毒蛇に足先を噛まれて死ぬということがしばしばありました。

すると家族や仲間は大変悲しむわけです。

しかしながら、裸足で狩に出たり往来することには何の恐れもためらいも抱く様子はなく、相変わらず平気で続けるのでした。


ところが、だんだんと文明が伝わり、靴の存在が遠い世界のものでなく自分たちにも手に入るようになってくると、あるときから一転して、靴を履かないで歩くことに恐怖を覚えるようになったのです。


つまり、対応策の現実性を感じない状態では、人々は大変な危険にもほとんど恐怖を持たなかったのです。


この話を思い出したのは先日の関東IST研修初日のレクチュアの冒頭でした。


ここで大事なのは、靴を知る以前の彼らが、決して恐怖を我慢して裸足で歩いていたのではなく、恐怖を感じていなかった点です。


問題解決学なしに人生を過ごしている人々は、この話に出てくる、靴を知らない部族の人々と同様、危険きわまりないことを平気で続けている状態にあるということができます。

すでに問題解決の手法を身に付け効力を体感している人から見れば、恐怖に値する無茶にも映ります。


経営免許(社長要目)を知らずに事業をすること、成人要目なしに社会に出て仕事や子育てをすることも、本来は同様の無謀性・危険性を伴うのであり、現に至る所に深刻・悲惨なケースがあるわけですが、今はまだこれら根本策の存在を知らない人が圧倒的に多く、話を聞いてもそれに理解や意欲を示す人はごくわずかです。


アフリカと靴に関する別の話では、昔、靴のセールスマンがアフリカに行ったとき、Aは

「この地方では誰も靴を履いていないから売れる見込みはない」

と報告し、Bは

「まだ誰も靴を履いていないから大いに有望だ」

と報告したという話は有名ですが、歴史はBに軍配を上げたことになるでしょう。


我々も問題解決学の普及において、現状にめげず、Bの読み取ったような流れに期待したいと思います。


(旧メッセージナウ2007年3月29日記事より)