講演の心得 2007.5/26

人前で話をする機会というものは誰にもあるものですが、話が下手だとして避けようとする人の中には、話が下手なのではなくて話す内容が乏しいだけの場合が多いものです。

内容があれば話し方が下手でも重く受け止められ感動もあります。

そのことに気付いてからは、話がうまくなりたいとは全く考えなくなりました。

話が下手なことは余り恥ではなく、中身がないことの方がより恥ずかしいのだと思えます。


もう一点、その中身のことについてですが、私の場合は二十代の頃から講演する機会があり、中には連続で何箇所か計画されていて、しかも何人かの人は追っかけでどの会場にも聴きに来るということがありました。

そのころは、飽きられないためには各会場で違った話をしなければならないと考えていたので、いわゆるネタの配分を考え、この話はあそこで、このエピソードはこちらでというふうに心積もりをして臨んだわけです。

すると、流れのままに出かかった話を押さえてしまうようなことが起こり、妙にぎくしゃくして、調子が悪いことを経験しました。


そこで考えた結果、各会場で話材を変えることよりも、毎回全力で最善を目指した話をし、繰り返し聴く人には毎回少しでも磨きをかけ進歩していく様子を味わって貰えば良いのではないかと思うことにしました。


話をした後に反省点のないことはまずありませんから、次は必ずそれを改めて行くようにすれば、進歩向上があることになります。

すると、同じような話だからといっても自分でつまらないとは感じなくなりました。


それと、話の主題が同じだとしても、その場の性質や参加者に応じて、最善を目指した話というのはおのずと変わってきます。

必要に応じて全く違った話材が自然に登場することにもなります。


話というものは、用意した話材を予定した順に記憶の中から取り出して披露しているように見えますし、そういう話し方もありえましょうが、本来的には、ある「精神」を表現しようとしたとき、そこにふさわしい話材が浮かび上がって使われていくのだと捉えたほうがピッタリくるように思います。


(旧メッセージナウ2007年6月13日記事より)