研究雑感 2007.7/13

研究の成果物は新知識ですが、突き止められない状態の知識の中には、新概念をもって捉える必要があるために把握困難な場合もありますが、中には周到に隠蔽したかのように隠れた状態にあるために見つけられなくなっていたのだということが後で分かることがあります。


家の中で探し物をして、とうとう見つかった後に、こんな風に置かれていたのでは見つからなかったのも道理だよなあ、と納得する場合とよく似ています。


探し物の場合も、すでに探した、ありそうなところを何度も探すのに、本当にあるところは探さないというようなことを続けたりします。


創造性というのは一般の人々が延々とそのようなことを繰り返す中で、じっくりと、隠れた犯人に迫るような営みの中で発揮されるもので、一般に想像されがちな「ひらめき」というのは、それが成就される瞬間にしばしば見られる体験ではあっても、基礎がゼロなのに偶発的・神秘的に訪れるお告げのようなものと思うのは、真の理解からは遠ざかったものでありましょう。


中には新概念の要求と隠蔽的障害が相絡まっていることもありえます。

そのような困難を乗り越える切り札がISTにほかならないのです。

人が歩いた道だけを歩いて、人が見つけていないものを見つけようとするのはむしのいい話です。

在来概念に乗っかってものを考える限りは、誰にも分かっていることを思い浮かべる世界に閉じこめられますので、研究には向いていないということになります。


(旧メッセージナウ2007年7月26日記事より)