二種の行動原則   2007.10/14

「免責」という言葉は債務者の側から見た債務の消滅を言うそうですが、最近はソフトウエア使用約款などの中で免責事項といった箇所で使われています。

この用語は単純に責めを免れるという意味で使うことも許されそうだと考えると、あることの説明に使うことができます。


つまり、官僚を始め勤め人と言われる人たちがほぼ一様に守ろうとする行動原則を端的に「免責の原則」と表現することができるのです。

叱られないで済むことを最優先するような仕事の仕方といっても同じです。


そこには免責の技とでも言いましょうか、結果がまずくても絶対に自分は傷まないように、責めが周りの人たちに行くようにはかることで有名な、名人のような人と若い頃接点を持ったことがあります。

保身の成否が運命を分けるような環境では、自然にそういうことが板について行くのでしょうか。


この「免責の原則」の対立概念は「貢献の原則」と呼ぶことができるでしょう。

役に立つことを優先するような仕事の仕方です。

当然目的を踏まえ、そこからみた最大価値を目指して行動します。


「免責の原則」で動く人は目的よりも成り行きの予測に基づく身の安全を第一とし、役に立つかどうかは二の次三の次となりがちです。

これは役に立とうと思っていないのではなく、役に立つことを優先していないだけです。

安全が保障されれば役に立ってアピールする気は十分にあるのが普通です。


「免責の原則」がよく現れるのは、誰の担当とも言えないような用事には手を出さないという形があります。

社長が海外出張から帰ってみたら、重要な問い合わせの文書が未決済の箱に入っていて、返事が手遅れだったというようなケースがそうした類です。


よく、経営後継者になりうる人物はどこを見たらよいかと聞かれることがありますが、この二つの原則のうちどの程度「貢献の原則」で行動できる人かというところが第一の着眼点としてお勧めできます。

「免責の原則」の人は優秀に見えてもトップに据えられて叱る人がいなくなると、単に勝手なことをするようになるという例も見て来ています。


「貢献の原則」で動ける人は、示されていなくても上位目的をにらみ、それにふさわしい選択を形成しようとします。


大方の従業員が表面を飾りつつ「免責の原則」で動いているという認識がなくて、個々の不行き届きを嘆いている経営者は、ある意味で人間理解の不足のために予防にも手が打てないことになります。


(旧メッセージナウ2007年10月14日記事より)