激動期に臨んで 2007.10/22

全世界を覆う激動の時期が訪れようとしている事は、ある程度の見識を持つ人々には共通認識です。


日本も従来の体制の行き詰まり、破綻、混乱という試練の時代を迎える事と思われます。


先の二次大戦への突入、敗戦、その後の国民生活の苦しみを招く経過の中には日本人の特性が現れている部分があって、それは基本的にみんなが行く方に異を唱えないで、間違っていてもズルズルと行く所まで行ってしまうという体質です。


「みんなで渡れば恐くない」

というフレーズそのままの心性ですが、

「みんなで渡れば危なくない」

かのように錯覚する所に恐さがあります。


最近フランスではサルコジが大統領の権限を強化し、首相以下の閣僚やその下の官僚組織の権限を剥奪して、大統領側近で構成するホワイトハウス式の「安全保障会議」の権限を強くしたようですが、それは、今後予測される大激動の中では、従来の体制の延長上で思考しがちな官僚組織に戦略立案を任せると、激動に応じた戦略の変更ができないことが認識されているためだそうです。


日本ではそれに比較できるような動きは見えませんし、できもしないようです。

終戦近くの後始末対応内閣とよく似ていて、積極的な未来開拓の能力はないことが伺われます。


日本の政府関係機関は、恐らく今後も、前例のない大変化に対して無能を晒すと共に、誰も責任を取らないで全国民を塗炭の苦しみへと追いやるという構図が繰り返される可能性が濃厚のようです。


今こそ絶対浮力、和力、とくに連帯力が重要になります。

いざというとき人々から大事に思ってもらえるような日々のあり方を心がけましょう。


もっとも、志士は塀の上を歩く(塀の内側にいるほど使命に怠慢でなく、塀の外に落ちるほど短慮でもない、当然八方美人という訳には行かない)ということはありますが。


それにつけても、進化型シンクタンクが最善性の裏付けとともに国策を提言するための準備となる人材養成が急がれます。

言語脳だけは生涯発達し続けるといわれます。

ISTへの粘り強い挑戦を期待します。


(旧メッセージナウ2007年10月22日記事より)