われわれが長期的に何かを達成しようとするには、それにふさわしい決意が必要なことはごく普通にあります。
幸福に対する願望は誰にもあるものですが、幸福になる決意はしっかりしているでしょうか。
私自身の場合は、二十五年前結婚の当日、貧乏でしたが何はなくとも家内と一生添い遂げるという決意を口に出して一方的に約束した時には、幸せになる決意があったことを鮮明に覚えています。
以来、自分にとっては日頃の変わりない姿勢になっていますが、たまに、ひょっとすると、この人は幸せになる決意がはっきり出来ていないのではないかと、いぶかってしまう場合があります。
考えてみると、善苦悪快観念と自覚的に訣別出来ていない一般の人々の多くにとって、自分の幸せをはかることの決意は、すなわち他人や社会を犠牲にして顧みない決意につながってしまう関係にあり、良心的であろうとするほど、どこかで幸福への意志にブレーキがはたらいてしまうということが予想されます。
「善苦悪快観念=利己心=不幸願望」
という関係が、そんなところにも顔を出します。
しかし根本的には、他者や社会との連帯姿勢のもとに、自己の幸福を追求する決意は堂々と固めてよいものであり、何らためらう必要などないものです。
幸せになる決意が曖昧・薄弱であるばかりに、目の前の、滅多に訪れない好機を、認めようともせずつかもうともしないで見送ってしまうことがないように気をつけてほしいと思います。
(旧メッセージナウ2008年7月15日記事より)
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