進化型といえる独自の問題解決~未来開拓の手法を、ISTと同時期に打ち立てて普及に努め始めてすでに二十数年になります。
このたび、最善学という新たな台座を整備したことを機会に、
「適動設計」
という固有名称を導入することとしました。
適切な行動を創出する手法の意味で、成果物が実務的最善性の裏付けを持ちうることを特色とします。
表題にある3Cとは、ここだけの略記で、Coaching, Counseling, Consultingを指しています。
一般にコーチングはクライアントの目標達成を手助けするのに対し、カウンセリングは主に癒しまたは治療が目的である点で性質が異なるとされているようです。
共通点は、どちらも解決策そのものは提供しないでクライアントの自己発見に委ねるところです。
これに対し、コンサルティングでは解決策を考え提示することを役割とする点で違いがあります。
最善学が明らかにした大事な点は、本物(正則型)の理念が不在のもとでは、基本的に最善策とは縁のない所にいるということです。
畑で、どんな堀り方をしたらハマグリが出るか試行錯誤しても根本的に無理なのと似ています。
それゆえ適動設計を知った観点からは、最善性追究機能を持たないで行われる在来の方法による立案行為は、たとえいかに専門的で有効に見えても、どれだけの可能性を置き去りにしたかわからない、“目隠しつかみ取り一発決め”の域を出ていないことになります。
適動設計を装備しない段階での、3Cに共通の問題点は、解決策を誰が出すにせよ、それに最善性を期待できないだけでなく、体系的に段階を追った掘り下げ・追究の過程を踏むことなく答えを出そうとするため、頭の引き出しに専門知識がある場合も含め、単純反応的な短絡的対策に飛びつきがちなところです。
とくにコーチング、カウンセリングでは、クライアントが「答えが見付かった!」と思って決めてしまった案に、浅慮や難点のあるケースは多々あると思われます。
したがって最終的に期待に添わないばかりか、ときには過ちに拍車を掛け、本来の到達点からクライアントを急速に遠ざけてしまう恐れがあります。
問題の発見を妨げる壁を乗り越えて解決策に到達するための、法則化された過程を知らないでは、クライアントが落とし穴にはまるのを防ぎつつ本当に望ましい対処の発案をもたらすことは困難です。
以前、少年による家庭内暴力に悩む父親が、とうとう寝ている息子を金属バットで殴り、殺害してしまった事件がありました。
その父親はのカウンセリング的な指導を受けていましたが、カウンセラーは無抵抗を提言し
「お父さん、もう少しです、頑張りましょう。」
と励ますだけだったようです。
3Cに携わる人たちは、その資格と併せて適動設計を学び「解決士」の資格をも持つようにしないと、ある種の問題に関しては無力なまま、危ない内容の仕事をしてしまい、将来、最善性追究の余地が知られた段階では、過去のクライアントに対する無責任のそしり、あるいはもっと深刻な非難を受けても仕方がなくなる可能性を認識する必要がありましょう。
(旧メッセージナウ2008年10月18日記事より)
このたび、最善学という新たな台座を整備したことを機会に、
「適動設計」
という固有名称を導入することとしました。
適切な行動を創出する手法の意味で、成果物が実務的最善性の裏付けを持ちうることを特色とします。
表題にある3Cとは、ここだけの略記で、Coaching, Counseling, Consultingを指しています。
一般にコーチングはクライアントの目標達成を手助けするのに対し、カウンセリングは主に癒しまたは治療が目的である点で性質が異なるとされているようです。
共通点は、どちらも解決策そのものは提供しないでクライアントの自己発見に委ねるところです。
これに対し、コンサルティングでは解決策を考え提示することを役割とする点で違いがあります。
最善学が明らかにした大事な点は、本物(正則型)の理念が不在のもとでは、基本的に最善策とは縁のない所にいるということです。
畑で、どんな堀り方をしたらハマグリが出るか試行錯誤しても根本的に無理なのと似ています。
それゆえ適動設計を知った観点からは、最善性追究機能を持たないで行われる在来の方法による立案行為は、たとえいかに専門的で有効に見えても、どれだけの可能性を置き去りにしたかわからない、“目隠しつかみ取り一発決め”の域を出ていないことになります。
適動設計を装備しない段階での、3Cに共通の問題点は、解決策を誰が出すにせよ、それに最善性を期待できないだけでなく、体系的に段階を追った掘り下げ・追究の過程を踏むことなく答えを出そうとするため、頭の引き出しに専門知識がある場合も含め、単純反応的な短絡的対策に飛びつきがちなところです。
とくにコーチング、カウンセリングでは、クライアントが「答えが見付かった!」と思って決めてしまった案に、浅慮や難点のあるケースは多々あると思われます。
したがって最終的に期待に添わないばかりか、ときには過ちに拍車を掛け、本来の到達点からクライアントを急速に遠ざけてしまう恐れがあります。
問題の発見を妨げる壁を乗り越えて解決策に到達するための、法則化された過程を知らないでは、クライアントが落とし穴にはまるのを防ぎつつ本当に望ましい対処の発案をもたらすことは困難です。
以前、少年による家庭内暴力に悩む父親が、とうとう寝ている息子を金属バットで殴り、殺害してしまった事件がありました。
その父親はのカウンセリング的な指導を受けていましたが、カウンセラーは無抵抗を提言し
「お父さん、もう少しです、頑張りましょう。」
と励ますだけだったようです。
3Cに携わる人たちは、その資格と併せて適動設計を学び「解決士」の資格をも持つようにしないと、ある種の問題に関しては無力なまま、危ない内容の仕事をしてしまい、将来、最善性追究の余地が知られた段階では、過去のクライアントに対する無責任のそしり、あるいはもっと深刻な非難を受けても仕方がなくなる可能性を認識する必要がありましょう。
(旧メッセージナウ2008年10月18日記事より)
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