溺れる者は・・  2009.1/16

「溺れる者はワラをもつかむ」

というのが通常のことわざですが、私は少し言い換えて

「溺れる者はワラ“を”つかむ。助かる者は浮き輪をつかむ。」

と言ってきました。


ワラを見つけてつかんでいる者の視野にはワラ以外の物はかえって映りにくいものです。

自分がつかんだワラを越える物があるはずがないとでもいうような、かたくなな可能性の自己排除が発生していることもよくあります。


「ワラをつかんで溺れる者、浮き輪をつかんで助かる者」

という構図を知って思い出すことにより、努力はしているが思わしくないという現状で、もしや自分がつかんでいるのはワラで、浮き輪はほかにあるのではないか、という視野の拡大を導くことができます。


「逃げ」「先送り」「延命」といったその場しのぎの対応はたいていはワラの方に相当し、却って事態を深刻化させます。

対照的に「受け止め」「先取り」「脱皮」によって抜本的な打開の道を捉える場合が浮き輪をつかむことに相当します。


アメリカの自動車メーカーのビッグスリーは世界的な排気炭酸ガス抑制の流れに対して、政治を動かすことでそれを遠ざけてそのままビジネスをしたのに対し、日本のメーカーは新時代に対応する自動車の開発に力を入れたので、あるとき同じ土俵に上がって比較すると、アメリカのメーカーは取り返しの付かない遅れを取っていたと言われています。


同様のことは企業のみならず個人の進路選択にも見ることができます。


知人の紹介で、ある人(47才)から求職の相談を受けることになりました。
(ご当人もこれを読んでいるかもしれません。)


さいわい、この方は一般労働だけではなく、アート、デザイン分野の専門性のある方でしたので、私は、今は「就職」のみを考えるのではなく、むしろ屋号を掲げて個人事業を立ち上げると共に、同じ分野の独立人とネットワークを組んで集団名で受注し、各メンバーの得意を活かして良い作品を納入する仕組みの構想を打ち出し、その世話人になったらよいのではという提案をしました。


同業者を目の敵にする習慣の人は、そうした輪に入って定着することができないので、きちんと運営すれば、自然に協調的な人によるネットワークが残ります。


派遣切りから正社員切りが取りざたされる状況にあって、いかに首にされずに企業にしがみつくかを考える人は、どちらかといえばワラをつかんでしばらくもがいた末に溺れる側に近いでありましょう。

下手をすると、最後までしがみついていた人が一番行き場のない目に遭うかも知れません。


政治が労働者を保護したつもりで、企業の負担を重くするほど、一般企業は従来の雇用とは別の方法を考え出すことになるでしょう。

派遣利用もその一形態でしたし、もうすでに人間のほとんどいない工場はずいぶん増えています。


時代が就職とは違った身の立て方を迫っているのなら、個人も「受け止め」「先取り」「脱皮」によって抜本的な打開の道を捉えることを考慮すべき時ではないでしょうか。


また企業の方でも、人を切る手前勝手な戦略ではなく、今こそ、働く人とその家族をも含めた共同体として運営する集団へと脱皮していく道に希望があります。


こうしたことを踏まえた上での、志ある人材のための相談にはいつでも応じるつもりでいます。


「見所のある若者」こそがこれからの日本の貴重な財産です。


(旧メッセージナウ2009年1月16日記事より)